A WILL
大きく上がる鬨の声。演説を終えた私は、エルドラント最深部へと報告に向かっていた。決戦を控えた今、閣下はひとり奥に正座し、瞑想している。ホドの古い家系の流儀だと、確か以前聞いたことがあった。
副官たる自分でも声をかけづらい厳粛な雰囲気が辺りを満たしていたが、私は躊躇うことなく呼びかけた。たとえ瞑想のうちにあっても、私がここに足を踏み入れた時点で彼は自分の存在に気付いている筈。その予想を裏切らず、閣下は私の声に驚いた様子もなく立ち上がり、私に報告を促した。
「閣下、兵員の配置は予定通り完了しました」
事務的な口調で作戦の進捗状況を伝える。報告を終えると、閣下は鷹揚に頷いた。
「ご苦労。よくやってくれた。先程の演説には驚いたがな」
聞こえていたのか。兵に指示を下したのはここから少し離れた場所だったのだが……この戦いは負けるわけにはいかない。それだけに、自然声にも力が入ったのかもしれなかった。
「私の正直な気持ちです。部下達もみな同じ思いでしょう」
「主張にやや偏りがあったような気はするが……まあよかろう」
閣下の声が耳に心地よく響く。その響きを楽しんでいた私はしかし、次に紡がれた言葉に耳を疑った。
「しかしリグレット、お前は本当にそう思っているのか?今お前の目の前に立っている男はお前の弟の仇。それのみならず、お前の愛弟子をも手にかけよと命じているのだぞ」
――何故。どうして彼は今になってそんなことを言い出すのか。閣下の意図が見えない私は、答えるべき言葉を持たない。
「今ここにはお前と私の他誰もいない。私を討つには絶好の機会だろう」
私に閣下を討てる筈もない。それを知っていて言っているのだろうか。私は押し黙ったが、閣下はそこで言葉を切ってしまう。閣下が私から何を引き出したいのか、それだけではわからなかったのに。
だが何か答えなければ。私は考える。私の思いを、どうすれば正確に伝えられるだろう。
しばし黙考した後、私は閣下の正面に歩み寄った。
「やはり仇は憎いか」
「いいえ。そうではありません」
距離はほぼゼロ。この位置ならばたとえ抜撃ちでも外すことはあるまいが、今私の手に譜銃はない。空っぽのこの手が譜銃を抜き放つよりも先に、閣下の剣がこの身を薙ぐだろう。だが私の目的はそこにはなかった。私が殺気をまとっていないためか、閣下もその場を動かない。
私は踵を浮かせて伸び上がると同時に閣下の骨張った輪郭を引き寄せ、ややかさついた唇を奪った。手袋越しにちくりと髭の感触がして、目も閉じぬままにすぐ身を離す。さすがに予想外だったのだろう、ごく僅かに戸惑いの色を浮かべている彼の顔を視界に収め、私は不謹慎ながらも無上の悦びを感じていた。
「閣下、覚えていらっしゃいますか?私が以前願ったことを」
特に弁解するでもなく、何事もなかったかのように私が発したのは問いかけの言葉だった。それは当然ながら閣下の問いに対する答えの形をなしておらず、彼は胡乱げに片眉を上げる。内心どうお思いかはわからないが、動揺した様子をほとんど見せないのはさすが閣下といったところか。
「譜歌を――閣下の譜歌を聴きたいと、申し上げたことがあります」
あれはいつのことだったろう。教練の合間にティアの譜歌を聞かせてもらった時だから、もう随分前の話になる。閣下は記憶を手繰り寄せるように目を伏せた。
「……ああ、そのうち聞かせてやろうと思っているうちに、忘れてしまったのだったな」
そう。あの後状況は一気に動き始め、そんな悠長なことを言っていられる場合ではなくなった。戦局は混迷を極め、そして彼はローレライをその身に取り込んだ。今譜歌を歌えばローレライは活性化し、閣下を喰らい尽くしてしまうだろう。今でさえ、閣下の体は過大な第七音素を封じた影響で蝕まれているのだ。理想の実現にとってそれは邪魔にしかならない。下手をすればこれまでに散っていった多くの同志たちの願いも水泡に帰してしまう。感傷に浸っている暇はどこにもない。
「私のこの身は既に閣下に捧げたものです。今討つべきは閣下の敵のみ」
私の心はもう決まっている。死んだ弟の復讐を誓った姉は、仇を討ち損じて死んだのだ。
「では、私も出撃します」
閣下に一礼して背を向けた刹那、低い声に名を呼ばれ、私は足を止めた。どうしたのかと振り向いた私に、閣下の穏やかな言葉が届けられる。
「この戦が終わり、ローレライを葬ったら、その時いずれ聞かせてやろう」
「……はい」
そして私はその場を辞した。
Will;@確固とした揺るぎない意思。A遺言。
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