黒塗りの笑み




「……その、カーティス少尉が死人の兵を帝都警備に送り出しているというのは本当なんですか……?」
「滅多なことを言うな。彼は……」
 不安げな様子が怯えているようにさえ見えるその若い研究員に対し、上司と思しき初老の男はわずかな逡巡の後、こう言った。
「彼は……我が国の優秀なブレーンだ」
 2人の研究員が立ち去った後、清潔ではあるがどこか寒々しい廊下に残った人影ひとつ。青年が1人、にやりと笑う。白衣の中で遊んでいるガリガリの体がこらえきれない笑いとともにかたかたと震える。サフィールは至極上機嫌だった。彼が思考に上らせるのは当然、今しがた恐れとともに語られていた死霊使いのこと。
 彼が人前で笑むことを覚えてからもう何年になるだろう。彼の研究が「非人道的』などという陳腐極まりないレッテル(ここでサフィールは忌々しげに眉を顰めた)を貼られ語られる以上、面倒を避けるために便利なのだとジェイド本人は言っていた。しかしサフィールは知っている。どれだけ柔和な笑みで取り繕っても、愚かな凡人達の疑念は消えるどころか増幅し続け、噂が噂を呼ぶ中で人は益々「死霊使い」と距離を置くばかり。
 ――恐ろしいのならばさっさと離れてゆきなさい。どうせお前達のことなど必要とは思っていない。ジェイドも、私も。
 睡眠不足のせいで幾分かすれた笑い声が気分の高揚とともにはみ出すが、それを聞きとがめる者はいない。ジェイドのいない空間では常にサフィールは独りであり、彼自身それが誇らしくてたまらなかった。
 ――ええ、どんどん離れてゆきなさい。彼を理解できるのは私だけで十分、なのですから。
 ジェイドが孤独の中へ踏み込めば踏み込むほど喜びを感じる自分にサフィールは気付いている。彼を、彼の素晴らしい考えを理解できるものなどいなくてよいのだ。自分とて彼の全てを理解できるなどとは思っていない。一番近い位置に立つことができるならばそれでいい。彼についてゆけるのは、私だけ。

 私だけでなければならない。

「解凍は終わったのか、サフィール」
 廊下の向こうからジェイドが歩いてくる。その視線は手に持った資料に落としたまま、笑みを刷くでもなく、言葉を選ぼうとする気配すらなく。
「ええ、すべて私の手で滞りなく準備してありますよ」
 さきほど耳にした噂について語る気など毛頭ないサフィールは、にやりと歪めた唇の端で無駄な記憶を塗りつぶし、標本室へ向かうジェイドの先導を務めることにした。


塗りつぶすことで消し去ったことにする。