変わらない





 尋問がやりづらい。そんな話を耳にしたのは、ディストの身柄が拘束されてから幾日も経たない頃だった。ジェイドは彼を軍に引き渡した後も数日はグランコクマに滞在し、たまっている仕事を少し整理していた。そこに、伝令の兵士から報告が届けられたのだ。
「わかりました。今夜にでも様子を見に向かいます」
 原因は伝えられなかったので不明だが、大方あの奇矯な言動が障害となっているのだろう。ジェイドは時間が空き次第牢へ向かう予定のみを記憶に残し、仕事へと戻った。



 見張りの兵の案内で、ジェイドは目的の牢へと到着した。譜石の明かりはごく僅かで独房の奥にいる囚人の顔はよくわからない。
「ディスト、いるなら出てきなさい」
 ジェイドの声に応じ、独房の奥でうごめく人影。囚人はけだるい動きで格子戸の所までやって来た。
 ――白昼夢でも見ているのかと思った。やや下がり気味の眉。情けない目。色白、というより顔色が悪いのは生まれつき。その顔は幼い頃のサフィール、そのままだった。
「何ですかジェイド、やっと親友に会いに来る気になったんですか」
 あの頃よりも幾分低い声。
「誰が親友ですか」
 ジェイドはやっと我に返り、人払いを命じた。
「ディスト、尋問がやりづらいと聞きましたが、また意味不明なことばかり言っているんですか?」
「何も言っていませんよ。猿に語る言葉などありませんから、黙秘を通しているだけです」
 毎日長時間にわたって行われる尋問でさすがに疲れているのか、ディストの目の下にはうっすらと隈ができている。そうだ、彼は今あの悪趣味な化粧をしていないのだ。
「おや、あなたに黙秘権なんてあるとでも思いましたか?」
「ありますよ!法律で決まっているでしょう!」
「いやあ、あなたはマルクトの民じゃありませんからねぇ」
「捕虜に対しても同様の法が適用されることぐらい私でもわかってますよ!」
「……では、捕虜の尋問に関しての特例もご存じですね?許可があれば、少し手荒い尋問に切り替えることもできるんですよ」
 それも知っていたのか、ディストは黙った。あきれたように溜息をひとつ。
「陰険なところは変わりませんね!」
 頭痛がしてきた。まるで変わらない『サフィール』の顔でわめき立てる目の前の男。
「変わっていないのはそっちでしょう。まだ諦めていないのですか?」
 わめいていたディストの目がきっと冷たくジェイドを睨みつける。
「当たり前でしょう。私は貴方のように尻尾を巻いて逃げ出したりはしませんよ!」
「早く都合のいい夢から覚めなさい。失われたものは二度と戻りません」
「ええ、そうかもしれませんね。でもあなたは誤解しているんです。まだ何も失われてなどいないんです」
「先生は死にました。それでも失われていない、と?」
 ジェイドが聞く耳をもったと思ったのか、ディストの目に光が差す。
「そうです。凡人には不可能でしょうが、私達なら叶えられます!事実フォミクリーの技術はほぼ完成にまで至ったじゃありませんか!」
 ゴッ。
 鉄格子にしがみついて強弁していたディストの顔面にジェイドの軍靴がめり込んだ。痩せた青白い体が牢の奥へと吹き飛ぶ。
「いい加減になさい。完全同位体を作れたってそれはもう本人ではないことはわかっているでしょう」
 のろのろと這い出してきたディストに眼鏡はなく、余計に昔のイメージが重なる。暗さも相まって飛んだ眼鏡の行方もわからないのだろう、目を眇めているのが余計泣きそうな顔に見えた。
 情けない顔。これでは尋問もやりにくい訳だ。まさか尋問の時にこんな表情をさらすことはないだろうが、がんぜない子供じみた素顔はあまりにも死神の名にそぐわない。ジェイドは鉄格子の隙間から手を突っ込み、ディストの顎を乱暴に掴み上げた。眦に溜まった涙を検分するように近付く、顔。
「情けないですねぇ。特別に許可しますから、明日からはあの悪趣味な化粧でもなさい」
 嫌味をまぶした声で囁きをディストの耳に流し込むと、ジェイドは立ち上がり、振り返ることもなく牢獄から立ち去った。
 無邪気にありもしない未来を夢想していた頃のまま思考停止しているディスト。子供のような顔。それがどうしてここまで癇に障るのかはよくわからないが、考えたくもない。そう、思った。



ある一つの事象についての解釈の相違。