ウィルグレ前提の葬儀屋+ウィル
暗がりの中で店の主がゆっくりと振り向いた。長い前髪に隠されて見えない目は、それでも確かに店先のドアを開け放った背の高い人影に向けられている。
「そろそろ来る頃じゃないかと思っていたよ。立ち話もなんだからお入り」
「……失礼します」
黒いスーツに身を固めた来訪者は軽く会釈をして後ろ手にドアを閉めた。一気に暗くなった店内で蝋燭の頼りない光が揺らめく。
「クッキーは好きかい?
さて、お茶はどこにしまったかな」
「お構いなく」
「それよりも早く本題に入りたい?
せっかちさんだねぇ。若い証拠だよ。ああ、それとも……」
怪しげな壺から骨の形をしたこれまた怪しげなクッキーを取り出してのんきに齧りながら首をかしげる葬儀屋の動作はいやにゆっくりとしたもので、もしここにいたのが幼いお得意様であったならば声を荒げていたかもしれない。とはいえ現在椅子にもかけず立っているしかつめらしい顔の彼も決して気が長いとは言い難い。用件だけ聞いたらさっさと帰ると言わんばかりの彼の堪忍袋の緒が切れないでいるのはひとえに、かつて伝説ともうたわれた葬儀屋の過去の経歴が引退して久しい今になってもまだ残像として威光を示していることによるものである。
「……単刀直入にお聞きします」
眼鏡の男は直立姿勢から微動だにせず問いを発した。
「死神派遣協会という組織の本質は一体何なのですか」
「そんなことは君も知ってるだろう。死亡者リストに記載された人間のシネマティックレコードを読み取りその魂を審査し、回収する。直接現場に赴いて魂を審査する派遣員の他にも業務を円滑に遂行するため総務・経理など各々の部署に役割が割り振られ……」
「そういうことを聞いているのではありません」
男が若干苛立った風に葬儀屋の説明を遮り、睨むような強い視線で髪に隠されている目をまっすぐに射抜く。
「表向きの建前などどうだっていいんです。実際に任務に就いている死神にすら明かされないでいる真の目的は何なのか。貴方ならばご存じの筈でしょう」
しばし沈黙したのち、葬儀屋は次のクッキーに伸ばしかけた手を引っ込め、ふうと溜息をついて言った。
「……まあまずはお座りよ。多少長い話になるからお茶も用意しよう。話はそれからだ」
ゆっくりと立ち上がりごそごそと戸棚をあさり始めた葬儀屋の動作は相変わらず緊迫感のかけらも感じられないものだったが、来客は特に咎め立てることもなく古びて若干ガタのきている椅子に腰を下ろした。その様子に葬儀屋は客に背を向けたまま小さくため息をつく。彼は本気だ。これは話すまでてこでも動かないだろう。いつか疑問を抱く者が出るだろうと覚悟はしていたが、それでも気が重いことに違いはない。
「私が知っているのはこれくらいかなぁ。まあ、職務に忠実な君には関わりのない話だよ」
――ねえ、ウィリアム君。
「しかし珍しいね。真面目な君がこんな時間に訪ねてくるなんて余程のことだろう。何があったんだい?」
フラスコからビーカーに注いだ紅茶を啜り、やっぱりあの執事君が入れてくれた出来にはかなわないねぇなどと呟きながら葬儀屋はことんと首をかしげた。執事君、という言葉に反応して潔癖な死神は不快そうに眉を顰めたが、何も言わずにじっと何事か考え込んでいる。
「だとするとアレは……」
「ん?」
「……急用ができましたので失礼します。貴重なお話をありがとうございました。また後日ご挨拶に伺います」
早口に言って立ち上がったウィリアムの袖を掴んで引き留めれば、苛立った視線が向けられる。
「他にも何か?」
ここで彼に事情を尋ねてもまともな答えは得られないだろうことは殺気さえ含むその視線から明らかであったが、だからこそ釘を刺しておく必要があると葬儀屋は判断した。
「……気が逸るのはわからないでもないけどね、ちょっと君は落ち着いた方がいいんじゃないかなぁ?
このまま行かせたら君自身も気付かない間に引き返せないところまで行ってしまいそうだよ」
「まさか。私の目的は業務を円滑化して定時に帰れる日を一日でも多く増やすことです。アレのせいでサービス残業など冗談ではありませんので。深みにハマって未処理の仕事を溜めるなんて本末転倒な真似はしませんよ」
きっぱりと言い切った後輩に、葬儀屋はただ曖昧な笑みを浮かべて言葉を継ぐ。
「とにかく気をつけることだ。でないと容易く道を誤ってしまうよ」
境界線上に立った時、落ちるのは我々が考えているよりもずっとリアリティのある選択肢に見えるものだからね。
はたして忠告は彼の胸まで届いたかどうか。短く礼を述べて店を出る背中を見送った後、葬儀屋はすっかりぬるくなってしまった紅茶の残りを一息に飲み干し、結局手をつけられることなく対面に残されたビーカーを見て何か考え込むようなそぶりで目を伏せるのだった。
タブロイドにあった「おちてしまうよ」を言うのは葬儀屋じゃないかなーなんて根拠もなく思って書いてみたもの。
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