Red Ribbon





  月が高く小さく昇った夜更け。邸の女主人から使用人に至るまで皆寝静まった邸内で、バーネット邸執事グレル・サトクリフは赤く小さく燃える燭台の光を頼りに独り鏡を覗き込んでいた。
 ――長い黒髪に縁取られた白い貌、気弱そうに垂れた細い眉、それから薄く紅い唇。まだ慣れないこの姿では本来の姿よりも顔色が悪く見えてグレルが溜息をついたその時、雨の夜更けだというのに鏡にもう1人、背の高い人影が映った。
「……アラ、ウィルじゃない。アンタがこっちへ来るだなんてどういう風の吹き回し?」
 振り向いた先、目の前に立っていたのは所属は異なれど同じ死神。気弱な執事らしく態度を演出する必要はない。
「心配しなくたってこの通り、ちゃーんとお仕事はこなしてるわヨ?」
 服の隠しから担当エリアの死亡者リストを取り出す。「切り裂きジャック」の協力者となった今も、死神としての仕事を怠ってはいなかった。だとすると彼がやって来たのは……。
「ンフッ、それとも、アタシがあんまりマダムと仲良くしてるから嫉妬した、とか?」
「違います」
「相変わらずつれないわねぇ、ホント、つまんないワ」
「つまらなくて結構」
 ウィリアムはピクリとも表情を動かすことなく、グレルの軽口をはたき落とした。冷淡で仕事をいかに効率化するかしか頭にない、その姿勢にグレルはいつも閉口するが、彼の端然と立つ姿は嫌いではない。
「で、結局何の用なの?」
「貴方を連れ戻しに来たに決まっているでしょう。ただでさえ人手不足なんですから、本業だけでなく雑用もそれぞれにこなしてもらわないと困るんです。こんな所で遊んでないで」
「イヤよ。つまんない雑用なんてお断り」 
 ぷいと顔を背けた拍子に髪を結わいている黒いリボンが視界の端を横切る。こんな地味な格好でも、退屈な死神協会の雑用よりはよっぽどマシだ。恰好だけそれらしくしていれば、赤い貴婦人と遊びに出かけて思う存分「アカ」を堪能できる。
「アタシ、何て言われたってもう暫くは帰らな……いッ?!」
 ウィリアムの手が唐突に黒いリボンを引っ張った。予想外の行動にグレルが目を白黒させている間に、彼はスーツの懐から取り出した何かでふぁさりと散った髪を束ね直す。
「ちょっと!いきなり何するの?!」
「……そんな黒ずくめで、途中で飽きたとか言って真っ赤なコートなど着始められたらそれこそ死神の面汚しですからね。それで少しは自分の立場を自覚なさい」
 鏡に映ったグレルの髪を結わいたリボンの色は真紅。人畜無害を演出するため地味に地味に抑えた姿にも、赤いリボンはすんなりと馴染んでいる。心なしか、顔色も先ほどより少しだけ良く見えるような気がした。
「……なかなか粋なことしてくれるじゃない」
「どれだけ化けたところで貴方が死神である事実は消えませんよ、グレル・サトクリフ。人間が『愛』などと呼ぶものとていずれは我々の曲がった大鎌に屈する、儚いことこの上ないものです」
「自分の立場を忘れるなって?そんなコト、言われなくたって……」
「分かっているなら何故こんな所で遊んでいるんです?」
「恋する乙女心ゆえ、ヨ」
 眉をひそめ、溜息をつく代わりのように眼鏡の位置を直したウィリアムの頬に、グレルは少し背伸びしてチュッと吸いついた。
「……暫くアッチへ戻る気はないけど、このリボンは気に入ったワ。アリガト☆」
「そう思うならさっさと戻って雑用を片付けなさい。全く、今日こそは定時に上がれる予定だったのに……」
 ブツブツと文句を言いながらウィリアムはその場から姿を消す。それに伴って鏡像もグレル1人だけとなり、いつの間にか短く減った蝋燭の光が赤いリボンを照らすばかりだった。


「ばら色の唇や頬が『時』の曲った大鎌に屈しても、愛は『時』の慰みものではない」(W・シェイクスピア「ソネット」116番より)



黒髪グレルかわいいよね!とただそれだけが言いたかったお話。
……つうか、これホントにウィルグレって言っちゃっていいんだろうか…?