ペルセフォネ




「マダム。アタシ、マダムが好きよ」
 夏の夜更け。椅子に腰かけた私を抱きしめながら赤い本性を隠した死神がうそぶく。どこまでが本気なのか、いや、わずかでも本気が含まれているかどうか、それすらもはっきりしない。
「マダムのためなら何でもしてアゲル。この間だって、うまくやったでしょう?」
 この間。私のアリバイ作りのためにアニー・チャップマンを殺害した夜のことだ。あの夜、自分は初めてグレルに死神の禁を犯させた。甥とともにドルイット子爵邸に潜入した自分の代わりに、死亡者リストにない人間を殺させたのだ。死神と協力関係を結んだ時点で私はもはや引き返せないところまで来てしまったけれど、今回の件で、グレルもまた引き返すことはできなくなった。文字通りの運命共同体となったのだ。
「ええ、本当にうまくやってくれたわ。これからもよろしく頼むわね」
「わかってる。だからマダムももっともっとアタシを楽しませて頂戴」
「そうね」
 共犯者同士の会話は睦言にも似ている。石榴のような赤い血の色で繋がれた共犯者。私たちは互いの利益と興味を満たすために手を結んだ。それだけの関係だった筈なのに、最近ではこうして二人でいる時間を愛おしく思う自分がいる。今は自分の執事に身をやつしているグレルも少しはそう感じてくれているだろうか。
「ねえグレル。あんた、大丈夫なの?」
「何が?」
「リストにない人間を殺すのは規則違反だってあんた言ってたじゃない。こんなところでのんびりしてて大丈夫なわけ?」
 問いかければ、死神は気弱そうなつくりの顔に剣呑な笑みをたたえて余裕たっぷりに頷いた。
「アタシのことなら心配はいらないわよ。これでもそれなりにうまくやってるんだから。そんなこと言ってるマダムこそ、気を抜いてたらあの坊やにしっぽを掴まれちゃうワよ?」
「………………」
 痛いところを突かれた。甥のシエルは間違いなく真実へと近づいてきている。こちらに死神という隠しカードがある限り心配はいらないと頭ではわかっているのだが、いつかあのまっすぐな瞳と向き合う時が来るのではないかと思われてならないのだ。
「お互い心配なんてないんだから、アタシ達は今を楽しみまショ。夜はまだまだ長いんだから」
「そうね……」
 死神が差し出してくる誘惑は甘くて苦い。まるで彼の好む血のようだ。真っ赤で、触れた手にねっとりとまつわりついて、離れない。その誘惑の果実を受け取ったのはまぎれもなく自分の意思だ。
「今夜はなんだか飲み明かしたい気分だわ。グレル、一番いいワインを出して来て頂戴。あと、グラスを2つ」
「え、何? アタシもご相伴にあずかっていいの?」
「もちろんよ」
 グレルはご機嫌で部屋を出て行った。戻ってくるまでに瓶やグラスを割ってしまわないかどうかが少々心配だが、もう考えるのはやめにしようと思う。グレルが私に声をかけ、私がその手を取ったあの夜から、思えばもう引き返せない道へと足を踏み入れていたのだ。今更迷ったところで詮無いことだ。
 私は椅子に背中を預け、深く息をついて執事の帰りを待つことにした。



 女神コレーは石榴を食べることで冥界の王ハデスの妻ペルセフォネとしての顔を持つようになった。この石榴についてペルセフォネはハデスの罠であったと言っているが、ペルセフォネ自身がそれと知っていてあえて石榴を口にした可能性も指摘されている。