スウィートピーの花束
「あちッ!もー、グレルさんったらひどいよ」
昼下がりの厨房に1人こもったフィニは、紅茶の染みのついたシャツを脱ぎ、ヒリヒリと痛む腹を掌でそっと撫でた。ちょうど臍の上あたりが少し赤く染まっている。案の定、軽い火傷を引き起こしてしまったのだ。
シャツはすぐに水を張った手桶に放り込んだが、シミにならずにすむかどうかはわからない。だがシャツについては目下の問題ではなかった。たとえシミになってしまったとしても、メイリンに頼めばなんとかうまくシミ抜きをしてもらえる筈だ。問題なのは火傷を負ってしまった腹部。指先の火傷と違って流水にさらすのは困難だし、かといってこのままでは痛くて新しいシャツに着替えることもできない。
「フィニアンさん!大丈夫ですか?!」
来た。諸悪の根源が。そもそも彼がワゴンごとぶつかってきたりするから自分は熱い紅茶を被る羽目になってしまったのだ。
「ああ、今度はフィニアンさんにまでご迷惑をおかけしてしまって……!」
二次災害を防ぐためにもできれば1人にしておいてほしかったのだが、それを言ったらまたパニックを起こして自殺行為に走るかもしれないと思うとそれもためらわれる。
「冷たい水をくんで濡れタオルを持って来たんです。せめてこれを……」
グレルが差し出したタオルを受け取って腹に当てる。少し滲みるような気はするが、冷たくて気持ちがいい。
「こんなに赤くなってしまって……本当に申し訳ございません……!」
どちらが火傷を負っているのだかわからないような沈痛な声を絞り出し、グレルは白い手をフィニの腹に当てられたタオルに添える。が、火傷でヒリつく肌にはそれだけの刺激も痛みとして感じられた。
「痛ッ!……もう、グレルさん、あとは自分でやるからいいよ!」
ぱしり。フィニが手を払いのけると、グレルは落ち込んだように目を伏せ、視線を床に落とした。
――なんでこの人はこんなに痛そうな顔をするんだろう?
白いタオルの端から少しはみ出して見える火傷の色はちょうど窓縁の瓶に挿してあるスウィートピーのピンクに似ている。目の前の見習い執事がいなければ負わなかった筈の火傷。しかし、しゅんと落ち込んだグレルの表情を見ていると少し可哀想になってきた。火傷の痛みからきていた苛立ちが静かに落ち着いていく。
「……グレルさん、もういいから顔を上げて下さい」
「いえ、でもそんな、申し訳なくて……」
「いいから!」
顔を上げた見習い執事の目の前に、手を伸ばして掴んだサフラン色のスウィートピーの花を押しつける。
「僕だってよく失敗してセバスチャンさんに叱られます。だから、その、そんなに落ち込まなくても大丈夫、だと、思います」
「フィニアンさん……!」
途端に顔を輝かせた見習い執事ががばっと抱きついてくる。って。その頬が当たってるのは間違いなくタオルの上で。
「痛ァァァァい!!」
……前言撤回。やっぱりこの人にはセバスチャンさんからしっかりお灸をすえてもらわないと。
スウィートピーの花束;初恋・思いやり・上品(野村順一『私の好きな色500』より)
しまったァ全然大人の時間に書く話じゃないぞOTL