the past




注;オリキャラ(伝令兵A)視点です。ご注意ください。







 戦局はあまり思わしくないようだった。私が報告を終え、新たな命令を下されるまで待機せよとグランツ謡将閣下に命じられてから既にかなりの時間が経過していたが、届けられるのは敵の進撃を示す報ばかり。
 だが謡将閣下は全く動ずることなく、次々と新しい指示を下していく。命令を受けた兵が再び駆け出していく一方、私はいつまでたっても待機状態のまま。傷つき報告にやって来る同志達を見るたび、私は歯がゆい思いを必死に噛み殺さねばならなかった。閣下のご判断に背こうなどとは思わないが、ただ歯がゆくて仕方がない。
 ――まるで生殺しだ。
 間違っても口にはできないが、私は正直そう感じていた。他の伝令兵達は報告を終えるや否や次の指令を下され、戦線へ復帰しているというのに。
 今このエルドラントにいる神託の盾兵は皆、腐敗した教団を捨てて、グランツ謡将閣下の理想に賛同し付き従ってきた者だ。無論私とて例外ではない。私は伝令兵であり、直接戦闘に関わることはほとんどないが、何か役目がある筈だ。
 謡将閣下には私ごとき凡兵には思いもよらない深いお考えがあるに違いない。そう自分に言い聞かせても、やはりただ待ち続けるのは辛かった。
 ちょうどその時だった。また一人伝令兵が駆け込んでくる。べっとりと着いた血は敵のものか彼自身のものか。そのまま倒れ込んでしまったことから察するに、答えはおそらく後者。
「申し上げます!第八地点まで敵に突破されました!」
 そろそろ聞き飽きてきた報告。しかし、それまで全く動揺する様子のなかった謡将閣下の眉がピクリと動いた。あまりに小さな変化だったため、無傷で待機していた私しかおそらく気付きはしなかったようだが。ややもすると謡将ご本人もご自覚されていないかもしれない。しかし、その私も続いた言葉には顔色を失った。
「リグレット第四師団長も戦死なさった模様であります!」
 身体中の血液が凍りついたかと思った。リグレット師団長が、戦死?
 ――私の所属は第四師団の第二大隊。第四師団に属する者は、多くが公私を問わずリグレット師団長に随分とよくして頂いていた。無論私も例外ではない。私も他の多くの兵と同様、神託の盾騎士団の一員として捧げた忠誠以上に、リグレット師団長個人にこの命を捧げようと密かに誓っていたのだ。
 グランツ謡将のご信任も厚かった。謡将閣下の表情に変化が生じたのはこのためだったのだろうか。
「そうか、ご苦労」
 だが先程の変化は私の気のせいだったのか、閣下は何事もなかったように指示を下している。右腕ともいわれたリグレット師団長を失ってなお平静を保てる謡将閣下の意思の強さを賞賛すべきなのか、その非情さにおののくべきなのか、私にはわからない。まさか、何も感じていないなどということは……。
 いや、違う。私はすぐにその考えを否定した。グランツ謡将はそんな方ではない。あのリグレット師団長が命を預けるに足ると判断した人物なのだ。
 負傷した伝令兵が出て行くのを見送ってから、閣下はやっと私の方を向き(忘れられていたわけではなかったのだとわかってほっとする)、静かに口を開いた。
「敵はもうすぐそこまで迫っている。お前はできる限り多くの神託の盾兵を連れてエルドラントから撤退せよ」
 やっと、やっと戦える。てっきり出撃命令が下るとばかり思っていた私がその言葉の意味を理解したのは、脊髄反射的に返事をした後だった。
「出撃、ではなく撤退ですか?」
「そうだ。動ける兵は皆連れて行け。これは全ての作戦行動に優先する至上命令、そう伝えろ」
 信じられない。私は耳を疑った。しかし、再度確認を取っても返ってくる言葉は同じ。
 謡将閣下のお気は確かか?!
 気付けば、私は畏れ多くも謡将閣下にくってかかっていた。
「お言葉ですが謡将閣下!ここで戦わずして何のための兵ですか!」
 しかし彼は全く動じない。小兵の無礼な発言に不愉快な顔すらせず、諭すように答える。
「確かにこれは大きな戦いだ。奴らは相討ちも覚悟でかかってくるだろう。しかしこちらは相討ちでは困るのだ。たとえ奴らを仕留めても、計画の実現がなされなければ我らの負け。したらばここに至るまでに倒れた同志達の願いはどうなる?」
 閣下の論には隙がない。しかし私には納得できなかった。
「しかし!ここで奴らを食い止められなければ意味がないではありませんか!」
「私が討つ。もとより奴らがここまでたどり着く可能性も考慮のうちだったのだ」
 閣下の声にはよどみがない。
「お前達はよくやってくれた。連中がここに至るまでには、十分に消耗していよう。これからお前達がすべきことは、同志達の態勢を立て直すことだ」
 ――行け。
 グランツ謡将はそこで話を打ち切った。私もそれ以上は何も言えず(そもそもこれまでの発言自体、到底許されるものではなかった)、閣下の御前を後にする。
「……ゼル……」
 何か聞こえたような気がしたが、背後の気配は揺らがない。きっと空耳だろう。



 私が幾人かの兵と共に――最後まで残ると言って聞かなかった者もいたが――離脱した数時間後、エルドラントは崩壊を始めた。
それが示すのは閣下の死であり、我らの理想の敗北であった。
 ギリギリで脱出してきた敵は、しかしいずれも浮かぬ顔。私たちは既に戦えるような状態ではなかったが、彼らもまた私たち敗残兵に目もくれなかった。
 我らの理想は潰えた。敬愛するリグレット師団長は倒れ、グランツ謡将もまた死した。お前達の望み通り、被験者の世界は救われた。 なのにどうして喜ばない!
 否、更に愚かしいのはいまだおめおめと生き恥をさらしている私だ。なぜ唯々諾々と離脱などしてしまったのだろう。たとえ謡将閣下の命に背いてでも、最後まで戦って果てるべきではなかったか。
 私の問いに、答えられる者は誰もなかった。



 暗い取調室にすすり泣きが響く。全てを語り終えた参考人――元神託の盾兵――は糸が切れたように泣き出した。エルドラント崩壊後、ほぼ放心状態であったところをキムラスカ・マルクト連合軍に捕縛されて以降、彼が当時のことを想起したのはここが初めてだったのだろう。
 本来ならばここで彼の証言の整合性を確かめ、不審な点は直ちに問いただす必要があるのだが……この状態の彼からこれ以上証言を引き出したところで、信頼性の高い情報は望めまい。それどころか、軽度の心神喪失状態にあったと判断されて証拠としてさえ役立たない可能性も十分ある。尋問担当者は取り調べの中断を宣言し、取調室を出て行った。
 それと同時に脇に控えていた兵士達がいまだ泣き止まぬ捕虜を促し、取調室には誰もいなくなった。


past;@過去。Apass(去る、消える)の過去形・過去分詞形。