メイクリーズン




「なあ、俺はさっき疑問を感じたんだが」
 よく晴れた昼下がりのジェイドの執務室。いつもの隠し通路から頭を出した刹那、マルクト帝国皇帝ピオニー9世は前置きもなくこう切り出した。
「なんだってサフィールは化粧なんてしてるんだ?」
 ジェイドは机から顔を上げ、突然の闖入者に冷たい視線を突き刺した。
「人の執務中に突然現れて何を言うかと思えば……そんな下らないことですか」
「下らんとは何だ。お前は不思議に思わないのか?」
 興味深々、といった様子のピオニーに、ジェイドは溜め息をつき、読んでいた書類に再び目を戻す。
「知りませんよそんなこと。直接本人にお聞きになったらいかがです?」
 言葉こそもの柔らかだが、彼の表情は『さっさと失せろ』と本音を隠しもせず物語っている。
「聞きたいのはそこじゃない。俺が聞きたいのは、何だって収監されてる人間が化粧してるのか、だ」
 女囚だって牢で化粧などしない。否、たとえしたくてもさせてもらえる筈がない。誰かが特別に道具を与えてやらない限りは。
「ジェイド、お前しかいないんだ。サフィールにそんな物を与える許可を出すような人間は」
 沈黙が落ちた。ジェイドが書類をめくる音だけが室内にいやに大きく響く。暫し黙した後、ジェイドは至極嫌そうに口を開いた。
「……陛下はあれの素顔をご覧になったことがありますか?」
「素顔って、あるに決まってるだろう」
「昔ではなく、今の顔です」
「ある訳がねぇ。誰かさんが化粧道具なんて与えてるからな」
 幼馴染の身柄が拘束されたと聞いて、懐かしさに心躍らせながらピオニーが顔を見に行ったのがつい先程のこと。薄暗い鉄格子の中を覗き込むと、そこには記憶の中にある顔とは似ても似つかぬ顔があって。さすがに予想していなかった変貌ぶりに驚いて、というよりむしろ同一人物だとさえ思えず、珍しくも声が僅かに上ずってしまったのだった。
 とはいえ、それも最初の一声だけだったのだが。
 口を開けば、記憶の中の子供と何ら変わることはなかった。しかしそれだけに違和感も大きい。
「尋問が、やりにくいそうです」
 ジェイドの声はやや硬く、いつもの張り付いたような笑みも消えている。らしくもなく、どこか事務的に聞こえる。
「私も気付いたのは身柄確保後だったのですが、あれはいい年をして子供の頃とほとんど顔が変わっていませんでした。あれが昔どれほど情けない顔をしていたかは陛下も覚えていらっしゃるでしょう」
 いつも鼻の頭を真っ赤にしてジェイドの後を追いかけていた幼いサフィールの顔。化粧の下にはあの顔がほとんど変わらずあったというのか。……ちょっと想像できない。
「吐かせねばならない情報は決して少なくありません。余罪は数え切れないほどあるでしょう。担当者には心置きなく任務を全うしてもらいたいですからね」
 ジェイドは再びいつもの笑みを浮かべる。
「ところで陛下、先程ブウサギが脱走したとかで、城内が慌ただしかったのですがいいのですか?」
「なぜそれを早く言わん!」
 帰るぞ!来る時とは逆にばたばたと隠し通路へと姿を消したピオニーは、どこかほっとしたように息をつくジェイドに気付かなかった。


メイクの理由。理由を作る。