鉛の杯
のんきなブウサギ達の鳴き声を聞きながら、ジェイドは目の前に置かれた杯を怪訝そうに見つめていた。室内の明かりに照らされて鈍く光る金属の杯。
「面白いだろ、それ。ワインにはそれが最高にいいって聞いてな」
陽気に笑う皇帝の脇ではメイドがしずしずと2人分の杯にワインを注ぎ、退出していく。
「……」
ジェイドは黙っている。皇帝の私室に呼ばれて来てみれば酒の相手をしろという。いやそんなことは日常茶飯事なので今更別にどうということもないのだが。
ぱたんとごく小さな音と共に扉が閉められた。
それを横目で確認してからジェイドは重い口を開く。
「……陛下、この杯は鉛ですね?」
「ああ、そうだ。よくわかったな」
どうやら感心しているらしいこの高貴なる幼馴染は、自分が今何をしているかわかっているのだろうか。
「まあ飲めよ。うまいぞ」
既に杯の半分ほどを飲んでしまったピオニーに促され、ジェイドも杯に口をつけた。一口含むと、甘酸っぱい香りが口の中に広がり、鋭い甘さが味蕾を刺激する。
「いいワインですね。非常に甘い」
だが、それだけではないことを彼は知っている。
「陛下、鉛の危険性はご存じですよね?」
鉛は毒性が強い金属だ。杯にすればワインに含まれる酸の作用で味わいが増すが、人体に蓄積されれば、死に至ることすらある。
「まあ、一応はな。だがお前も知ってるだろうが、1度や2度で死ぬような代物でもない」
「当たり前です。死ぬならお世継ぎ問題を解決なさってからにしてくださいね。あとの者が迷惑しますので」
「頼むからお前までその話題を出してくれるな……」
痛い所を突かれたピオニーはぐったりと脱力した口調で返し、半ばヤケ気味に杯の残りをあおった。
「人間、駄目と言われたらしたくなるのが人情ってもんだろう」
全く、反省の色はないようだ。
「陛下がいなくなったらブウサギ達が悲しみますよ〜」
「なんだ、お前は悲しんでくれないのか?」
「私は貴方がいなくなったからといって命の危機には直面しませんから。次期皇帝の夕食に供される心配だけはないのがいいですね」
がたん!夜半の宮殿内にしてはやや派手な音を立ててピオニーが立ち上がる。奥でのんびりと寝床に向かっているブウサギ達に駆け寄り、ソテーになんかさせねぇからな!などと言いながらそれぞれの鼓動を確かめるようにぺたぺたと撫で回す。
「ご心配でしたら、長生きなさって下さいね。こういう危険物は私に任せて」
笑ってジェイドは2杯目のワインがなみなみと注がれた皇帝の杯をとり、一気に飲み干した。
「悲しむ」だなんて絶対言わない。
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