ヘロアンティア
Sylph,Efreet
Decan,ND2021。タタル渓谷はまた花の季節を迎えていた。よく晴れた道を歩いてくる2人の人影。1人は何か白い布の包みを小脇に抱えている。エルドラントの残骸を望むその場所にもまた、花々が美しく咲き乱れていた。
「変わらないな、ここは」
2人のうち赤毛の方が先に最後の坂を登り終え、感慨深げに呟いた。
「ええ、変わりませんね。あの日の昼も、ちょうどこんな感じでした」
ゆったりと歩いていたジェイドが追いついてくる。
あの日。ルークが約束を果たして帰ってきた日。あれから数ヶ月が経った今でも、その風景はどこも変わることなくそこにあった。空は澄み切って青く、高台であるためか爽やかな風が吹き抜けていく。
ジェイドが足を止め、手にした包みをほどき始めた。出てきたのは小さな石板。彼は取り出したそれを大事そうに見つめ、ホドが一番よく見えるあたりの地面にそっと置いた。どかされた花が揺れる。
「……“英雄ルーク・フォン・ファブレ、ここに眠る”」
ジェイドの後ろから覗き込んでいたルークが、ジェイドの指が辿るのに合わせて石板の文字を読む。文字は、石板の中央からかなりずれた所に刻まれていた。
「あなたの墓碑銘、だったものの一部です」
「ああ。何か妙な気分だよな。自分の墓標をこの目で見るってのは」
「そうですね。世界はあなたを死んだものだと思っていましたから」
英雄の帰還を人々は歓喜とともに迎え、既に作られていた彼の墓は用をなさぬものとなった。人々の強い要望によりそれは彼の功績を讃える記念碑へと姿を変えられ、荘厳な字体で彼の功績とその死を悼む言葉が刻まれた石碑は1ヶ月も経たぬうちに解体された。しかし、ジェイドはその大きな石塔の一部、個人で運搬が可能なだけの大きさのみを削り出して保管していたのである。
「私はあの子が帰ってくると信じたかった。だからお別れは言いませんでした」
あの子は既に鬼籍にあるひと。小脇に挟めるだけの小さな石板はそれを証す墓標。墓石としては随分小さいものだが、それでも十分と感じられるほどしか、あの子は生きられなかった。
「祈りたいと思ったんです。かつて生きた彼を知る者のひとりとして」
――彼に慕われ、また彼を愛した者として。
ジェイドが石板の位置を整えている間ルークは口を開かず、しばし小鳥の声だけが2人の間を通り過ぎた。
「ナタリアが」
沈黙を破り、ルークが語り出す。
「アッシュの墓は作らないってさ」
歴史の表舞台に出ることはついになかった「聖なる焔の光」の被験者。彼を愛したキムラスカの王女は、今も国内外を忙しく駆け巡り、世界のために働いている。彼女はこの少し前、ルークにその胸の内を語っていた。
『作るとなればどこに、どういう形態で設けるのか、かなり微妙で難しい問題になりますわ。それに、仮にそれが解決したとしても私がそこをたびたび訪れることはできないでしょうし』
2人で愛したこの国を光へ導くという彼との約束を果たすためになすべきことはあまりにも多く、立ち止まっていられる時間などない。否、立ち止まらず一心に働いている間にこそ、より強く彼を感じられるのだと彼女は言う。
『色々ありますけれど、でも一番大切なのはそんなことではないのです。……彼は、アッシュは今も、ここに』
そう言って自らの胸を掌で示したナタリアの目に涙が滲んでいるのを、ルークは指摘しなかった。
『だから私は彼のお墓を必要としないのです』
ジェイドは彼の話を聞き終えると一つ頷いた。
「そうですか。実に彼女らしい」
「まあな。ナタリアも色々考えて決めたみたいだった」
――お前だって、そうなんだろ?
きっとどちらも正しい選択なのだとルークは言外に伝える。と、そこでルークは口ごもった。何か言いたげなのに口を噤んでいるのは昔の“ルーク”にはよくあったことだが、今の彼には珍しい。
「ひとつ、頼みがあるんだ」
「何ですか?」
そしてやっと口に出した言葉も妙に歯切れが悪い。
「ジェイドの気持ちはわかってるから、ひどい願いだと思う。だけど、ここであいつに祈るの、一度だけにしてくれないか」
ここじゃないなら、いくらでも祈ればいいから。
彼にしては至極珍しいわがままだった。帰ってきた彼は2人分の記憶を持ち、かつての「彼ら」を知る者としては違和感を感じるほど安定した性質をしていたから、このようなことを自分から言い出すとは思わなかった。確かに彼、ルークはここで生きているのだから、厳密には別人とはいえ自分の墓を見るのは気分のいいものではないだろうが。
「ええ、私も元より一度きりのつもりでした」
自分は元来、行動を制限されることは好まない。だが、彼の願いなら聞いてやりたいと思った。いつもそれなりに余裕をもって振る舞う彼の姿に比してアンバランスに見えるギャップ、その部分は“ルーク”とアッシュ、どちらが残したものか。否、どちらだっていい。大切にしたいことに変わりはない。今生きている彼は“ルーク”とは違う。傍目には同じ関係が続いているように見えても、自分たちはこれから新しい関係を築いていく。
「今ここにはあなたがいます。それに、私はあなたにもそれなりに好意的な感情を持っていますからね」
「何だよその言い回し。俺が好きだってことだろ、それは」
ジェイドはそれ以上何も言わなかった。ルークもまた口を閉じ、どこか吹っ切れたようなジェイドの横顔をじっと眺める。
「……私の顔に何か付いていますか?」
「いや、別にそんなんじゃねぇけど」
「じゃあ、見惚れちゃいましたか?」
「ああ、そうだよ」
「……!」
照れ隠しに見上げた空が、どこまでも青い。
ヘロアンティア;「英雄が花開く」という意味で、ギリシャの五月祭。Heroanthia。
*こっそり言い訳*
何なんだこの少女漫画。
第一稿ではもうちょっとシリアスな展開の予定だったのですが、二度目のチャットで幸せトークをしている間にいつの間にかこんな甘〜い終わり方に…見ていられない!
あの、愛だけはしっかり込めた(つもりな)ので、愛だけ受け取ってやって下さいませ。
お目汚し失礼致しました。それでは!