ハウェの選択





 雪道を続く2対の足跡。全ての音は雪に閉ざされ、街が見えてきた辺りでもまだ観光地の賑わいは耳に届かない。雪を踏みしめる音がわずかに響くのみだった空間に、ためらうような声が割って入った。
「……見届ける、本当にそれだけでいいんだな?」
 ジェイドは同行者としてルークを選んだ。全てを見届け、結果を持ち帰らせるために。たとえ一戦交えても彼女を葬り去ると決めた以上、戻れる保証はどこにもない。戦って果てるか、或いは微笑みにすべてを飲み込まれるか……自分が戻らなければ、何が起きたのかを報告する者がいなくなってしまう。
「ええ、手出しは一切無用です。彼女の目的は私ですから、手出しさえしなければあなたを害することはないでしょう。結果の如何に関わらず、すべてが終わったら速やかに離脱して下さい」
 ケテルブルクに入った2人は状況説明のためオズボーン知事邸へ向かった。妹と言葉を交わすのも、これが最後かもしれない。



「お兄さん!正気なの?!」
 事のあらましを大まかに説明すると、ネフリーは顔色を変えてジェイドに詰め寄った。
「あの人は危険だと言っていたのはお兄さんじゃない!それなのにたった2人きりで行くだなんて……!」
 眼鏡の奥の瞳が少し潤んでいる。こんな兄でも、失うのは悲しいと、思ってくれているのだろうか。
「彼女を生み出したのは私です。私怨に軍を巻き込む訳にはいきませんよ」
「だけど!以前戦った時だって皆さんと一緒だったから倒せたんだって、お兄さん自分で言っていたでしょう!」
 あの時の仲間のうち、ここにいるのはルークただ1人。他の皆は、今何が起きているかも知るまい。
「彼らは今世界にとって欠くことのできない人々です。あの時はなりゆきで、ええ、彼女と会う羽目になったのはあの時すら不可抗力でした」
 激するネフリーとは対照的に、ジェイドは至極冷静だった。今生の別れになるかもしれない状況にしては少し冷淡に過ぎるかと自分でも思うほどに。
「本当は、ルークに同行を頼むことすら心苦しいんですよ」
 キムラスカの第三位王位継承者。ローレライを解放し、世界を救った英雄。世界は彼を今失うわけにはいかない。そして、世界でも数えるほどしか知る者のない、失われてしまった2人の英雄。その記憶を継ぐ彼を失うことは、いかなる理由があろうとも回避せねばならない。
 いかなる結果が出ようとも、それが最悪の結果であったとしても必ず離脱し、モンスターの徘徊する雪山を無事に下山できる人物、としては彼しか思い当たらなかったから頼んだのであって、他に適切な者がいたならば、このようなことにはしなかった。
「ネフリー、覚えていますか?私がネビリム先生の葬式を途中で脱け出したことを」
「……え、ええ、覚えているわ」
 いきなり話題を転換したジェイドに、ネフリーが目を白黒させる。
「お兄さんが泣く訳ないとは思っていたけれど、まさか最後のお別れも言わないだなんて思わなかったもの」
 いつの間にかいなくなっていたジェイドを見つけたネフリーは泣き腫らした目にまた涙を浮かべ、ピオニーは彼女の背をさすってやりながらジェイドを睨んだ。何があったか知らないが、どういうことだ、と。自分は何も言わず踵を返し、ひとり町外れの森へと出かけて行ったと記憶している。では、あの時サフィールはどうしていただろう。思い出せない。
「私はネビリム先生を復活させるつもりでいました。今となっては愚かしいとわかりますが、当時の私は本気でそんなことを考えていた。だから、お別れを言う必要性を感じなかったのです」
 むしろ周囲が素直に先生の死を受け入れ、嘆いていることの方がジェイドには信じがたいことだった。フォミクリーさえ完成すれば先生を取り戻すことができるのに、どうして皆あんなに悲しんでいるのだろうかと。
「そんな思い違いで生み出してしまったのが彼女です。しかし彼女はネビリム先生その人ではなかった。死者は二度と戻らない。それが、やっとわかったんです」
 考えてみれば彼女も哀れなものだ。愚かな子供の思い違いによって生まれさせられ、被験者そのものではないという理由で捨てられた。その挙句に今は、一度も“彼女”個人として省みられることもないままにその命を消されようとしている。創造者たるジェイド本人の手によって。
 被験者の代わりでもいい、と彼女は言った。あまつさえ被験者のふりをしてジェイドを騙し、慰めさえした。その時彼女はどんな顔をしていただろう。彼女とて、喜んで被験者の代わりになることを望んだ訳ではあるまい。自分が自分と認められぬままにただ相手の望む姿を演じてみせる人形のような生き方など。そこまで彼女を追いつめてしまったのは他でもない自分。そもそもそんな悲しい命を与えてしまったのも自分。それならば、幕を引くのも自分がせねばならないことだ。
「さよならを、言ってきますよ」
 そう言って、彼は部屋を後にした。



 街を出るとき、ジェイドは一度だけ振り返った。自らの生まれ故郷。そしてすべてが始まった地。
「あれで、よかったのか?」
「……はい」
 ジェイドがネフリーと話している間、ルークは何も言わずにじっと2人の話を聞いていた。あの落ち着きのない子供がよく黙ってじっとしていられたものだと一瞬思い、すぐに思い直す。今隣にいるのはすぐにしびれを切らして終わりを催促する子供ではない。
「すべきことはただ1つです。決着をつけに行きましょう」
「ああ」
 2人分の足跡は街から北へと続き、ほどなくして降り積もる雪が彼らの痕跡を覆い隠していった。


ハウェ;「命を与えるもの」