The leaden goblet




「こんばんは伯爵、ご所望の資料だよ〜」
 常と変わらぬくだけた所作でドアを開けた葬儀屋は、ヴィンセントが手にしているゴブレットにふと目を留めた。だんだん猫背気味になりながら部屋の奥へと歩を進め、遠慮なくじろじろと眺める。グラスというにはやや大ぶりで重厚すぎる造形のゴブレットは、ルームランプの光を受けて金属独特の光沢を放っている。大量の湿気を含んで重く垂れこめる雲のような鈍いかがやきが、ランプの灯が揺らめくのに合わせてちらちらと揺れた。
「いらっしゃい、葬儀屋。君は本当にタイミングのいい男だね。ちょうど上等のワインを開けたところだ。君も一杯どうかな?」
 軽く揺すっていたゴブレットを前方に差し出しながらヴィンセントが楽しげに微笑みかけると、葬儀屋もニヤリと白い歯を見せて笑った。
「せっかくだけど小生は遠慮しておくよ。それにしても、ずいぶんと古風な趣向を凝らしたものだねえ」
「そう?ワインにはこれが最高にいいと聞いたんだ」
 ちょっと重いけど、とごちながらヴィンセントはゴブレットを傾け、一口だけワインを含むとすぐにそれを机の上に置いた。
「うん、いいワインだ。どうせなら普通のグラスも用意して飲み比べてみればよかったな。で、件の資料は?」
「これだよ。だけど、渡す前に一つだけ聞いてもいいかなぁ?」
「どうぞ。答えられる範囲内でいいなら何でも答えるよ」
「それ、鉛でできているよねえ。当たってるかい?」
 どこからともなく取り出した分厚い紙束をその手でひらひらとぞんざいに弄びながら、長い前髪に半ば以上を隠された顔が青年貴族のそれに近づく。不躾な態度に驚く様子もなく、ヴィンセントは笑って頷いた。
「その通り。見ただけなのによくわかったね」
「こう見えて小生は結構年を食っているからね。同じようなものを見たこともあるんだよ」
「ふうん。……自分で試してみた?噂では病み付きになるそうだけど」
 悪戯好きの子供のような視線がすぐ横へと流される。
「まさか、そんなアブナイものに手は出さないよ〜。文字通り病み付きになるそうだからねえ」
 オーバーに両手を広げて身を起こした葬儀屋はそのワインの味を知らないが、その危険性は、直接目で見て知っている。
(って言ったら、さすがの伯爵も驚くかなぁ)
「鉛の危険性は知っているよね、伯爵?」
 内心の呟きなどおくびにも出さず葬儀屋はヴィンセントに問いかける。
 ――鉛は毒性の強い金属だ。杯にすればワインに含まれる酸の作用で味わいが増すが、それが人体に蓄積された場合、死に至ることすらもある。
「もちろん、一応はね。だけど君も知ってると思うけど、一度や二度で死ぬような代物でもない」
 さあ、答えたんだから資料を渡してよと白く繊細な貴族の手が差し出される。葬儀屋が紙束を緩慢な手つきで渡すと、ヴィンセントはゴブレットの中に残るワインの存在など忘れたかのような熱心さで資料を読み始めた。驚くべき速さで視線が紙の上をなぞり、二枚、三枚と紙束がめくられてゆく。
「まったく、伯爵は本当に子供みたいだよ。こんな火遊びに手を出すなんて」
 葬儀屋の言葉が指すのは鉛のゴブレットか、それとも資料の内容か。
「人間、駄目と言われたらしたくなるのが人情だろう?」
 いずれにせよ、ヴィンセントに反省の色はまったくないらしく、資料の束から視線を上げようともしない。
「伯爵に何かあったら大勢の人間が悲しむことになってしまうよ」
「……その中に君は含まれているのかな?」
「面白くないね。伯爵が死んでしまったらつまらない」
 こんなもののために死ぬなんて、まったくもってつまらないよと言いながら、葬儀屋の顔は笑っている。
「伯爵にはもっと面白いものを沢山見せてもらう予定なんだから、こういう危険物は小生が責任を持って処理させてもらうよ」
 いまだ書類から顔を上げないヴィンセントをよそに葬儀屋はずっしりと重いゴブレットを取り上げ、まだほとんど手つかずの中身を一気に飲み干したのだった。



 危険なゲームに燃えるのは父子共通かと。