その執事、遭遇(Side Red)




 執事見習いとしてファントムハイヴ邸へ入り込んだはいいケド、お仕事中のセバスちゃんってば常に忙しくて全然相手にしてくれない。だけど恋する乙女はこれしきの逆境に屈したりしないワ。仕事中がダメなら早朝、始業前にしっかりたっぷり甘い一時を過ごせばいいのヨ。ホントは深夜の逢瀬の方がロマンチックではあるんだケド、夜は夜でこの間もサラリとかわされちゃったし。いずれ夜を一緒に過ごすようになるとしても、まずはやっぱり朝が狙い目よネ。
 と、そこまでは我ながらいいアイデアだと思ったのに。
 お茶の準備をしてたら突如アクシデント発生。湯を注いだ瞬間に割れるだなんて、このガラスポットはアタシにケンカ売ってんのかしら。割れたポットから熱湯が手にはねた時にはついムカッときて無事だったカップとソーサーを思わず払い落としたりもしちゃったケド、よくよく考えてみたらこれはセバスちゃんの寝室へお邪魔する大チャンス。ああ、寝起きのセバスちゃんってばどんなカオしてるのかしら。ううん、気合い入れて早起きした分まだ時間も早いし、ひょっとしたらその、寝顔なんて拝めちゃったりしちゃうかも?!キャー!!
 そうとなったら急いでセバスちゃんのお部屋へ行かなくちゃ。えっと、うっかりニヤけちゃったりしないように、神妙なカオ、神妙なカオ……。

 

 いつもこの邸の使用人達が上げてるような悲鳴ごとノックもせずに飛び込んだ部屋の中には、ものすごく嫌そうなカオでフリーズしているセバスちゃん。チッ、さすがに寝顔は拝めなかったか……って、そうじゃなくって!!
 ちょうど身支度の途中だったと思しきセバスちゃん。羽織ったシャツの裾から長く伸びたキレイな脚が惜しげもなく晒されてるゥゥゥ!キャッ、アタシってば今ひょっとして寝顔より貴重なシーンを目の当たりにしちゃってるんじゃない?
 っとと、感激のあまり呆けてる場合じゃないワ。一体何事かと言わんばかりに睨んでくるセバスちゃんの視線が痛い。まずは用意しておいた言い訳、もとい事情説明を……説明を……。
 なんて。
 こんなセクシーなセバスちゃんを目の前にしながら冷静に喋れるワケないじゃない!!見えそうで見えない裾の内側とか、まだ手袋を嵌めていない手の繊細な指とか、シャツの合わせから覗く流れるような首筋の線とかが気になって何言おうとしてたかなんてすっかり忘れちゃったわヨ!
 予想外の事態に大パニックに陥ってるアタシに、セバスちゃんはどこまでも冷静な声で、でも少しだけ顔を引きつらせながらこう言った。
「……グレルさん、私こんな格好では何も対処ができませんので少々お待ち頂けますか?」
 ねぇセバスちゃん、アタシ、ものすごく嫌がってるくせに表面だけでも取り繕おうとしてるそのカオもすごく色っぽいと思うワ。なんて、まさかこんな事ここで正面切って言うほどアタシもバカじゃないケド。
「………………」
「……グレルさん?」
 アラ、いけない。今のアタシは人畜無害な執事なんだから、ボーっとしてる場合じゃないワ。
「ハッ、ハイ!」
 そうよネ。いくら悪魔でもこの恰好で部屋を出るワケにはいかないわよネ。もちろん待つワ。大体セバスちゃんの着替えをこの目で見る機会なんてこの先も滅多にないだろうから大歓迎ヨ!
 そう思ってウキウキしながらその場に立ってたのに。大きな溜息をついたセバスちゃんの視線は幻聴が聞こえそうなほど強く「さっさと出て行け」光線を放ってて。じりじりと後ずさって開きっぱなしだったドアの外に1歩出たその瞬間にアタシの目の前で無情にもドアはバタンと閉められて、アタシはそれ以上の眼福に与ることはできなかったの。あぁ、残念だワ。
 でも今日はセバスちゃんの生着替え(の一部)をこの目で見られただけでも良しとしまショ。少しずつ少しずつ、じれったいくらいの恋もたまにはいいワ。



心は乙女の黒グレル。