その執事、遭遇(Side Black)




 執事の朝は早い。屋敷の誰よりも早く起き出し、まだ暗い時分にまずは己の身支度を整える。それから使用人達を集めてそれぞれに仕事の指示を……
「セバスチャンさぁぁぁん!!!」
 身支度を整え始めたばかりだったセバスチャンは、屋敷中の者が飛び起きそうな悲鳴に軽く頭痛を覚えた。と同時に部屋のドアが乱暴に開けられる。まだ今日は誰にも今日の仕事の指示を出していないというのに、一体誰が余計なことを仕出かしたのか。
「ポポポポットが……爽やかに……透明の、お湯がガシャンって……!」
 大パニックでまくし立てているのは先日預かることになったばかりの見習い執事。どうやら事情説明をしようとしているようだが、話が全く要領を得ず、意味が分からない。いや、まずはそれ以前の問題だ。
「……グレルさん、私こんな格好では何も対処ができませんので少々お待ち頂けますか?」
 つい先ほど身支度を始めたばかりのセバスチャンはいまだシャツを1枚羽織っただけの格好だ。さすがに羞恥を感じる。
「………………」
「……グレルさん?」
「ハッ、ハイ!」
 ぶんぶんと首を縦に振って返事をしたグレルはその場に直立した。ドアは開けたままである。
 ――ドアくらい閉めなさいこの×××××!それとも覗きが趣味なんですか?!
 決して、決して今自分が感じている苛立ちは不合理なものではないとは思ったが、まずは起きたトラブルの方を先に何とかしたい。セバスチャンは溜息をつき、グレルの鼻先で部屋のドアを閉めた。



「……これはひどい」
 厨房のドアを開けたセバスチャンは思わず本日二度目の溜息をついた。もとはポットの形をしていた筈のガラスの破片と周囲に零れた紅茶と思しき液体。なぜか床に転がっているティーカップとソーサーは端が毀れ、罅割れが走っている。いったい何をどうすればこのような惨状になるのか。呆然とするセバスチャンの背後に立つグレルはすっかり小さく縮こまってブツブツと何かを呟いている。
 部屋からここへ来るまでに聞き出した話では、どうやらグレルはアーリーモーニングティーの支度をしようとしていたらしい。そして爽やかさを演出しようと選んだガラスポットに湯を注いだ瞬間にポットが割れ、慌ててナフキンを取ろうとした手がカップに当たり、カップとソーサーが床に転がり落ちたということだった。おそらく、耐熱ガラス製ではない水差しをポットと間違えて熱湯を注いでしまったために起きた事故、ということだろう。
「ああ、またセバスチャンさんにご迷惑をおかけしてしまって……この上はやはり死んで、死んでお詫びをォ!!」
 カン高い悲鳴に近い声とともに振り上げられたぺティナイフをグレルの手から取り上げる。ここ数日の間に、彼の行動パターンはすっかり把握済みのセバスチャンであった。
「血が舞うと更に後片付けが大変になるのでここで死ぬのはやめて下さい、グレルさん。そんなに償いの証を刻みたいのでしたら、私がこのナイフで真っ赤に刻んで差し上げましょうか?」
「セバスチャンさん……なんてお優しい……!」
 パァッと瞳を輝かせるグレルとは対照的に、セバスチャンは今すぐにでも生きることを放棄しそうな溜息をもう一つ。
 ――これはもう自分の手には負えない。ああ、坊ちゃんの面白がる顔が目に浮かぶようだ……。
 とりあえずは目の前の惨状をどうにかしないことには一日が始まらない。セバスチャンは朝だというのにぐったりと疲れた様子でカップの破片を拾い上げた。


悪魔のくせに苦労性なセバス。