隠された叡智




「作業は順調ですか」
 教団本部からほど近いレプリカ研究施設。一番奥の部屋で目的の人物を見つけ、導師は穏やかな声でディストを呼んだ。
「ええ、順調です…と言いたいところですが、相変わらずですよ。ただの人間には十分すぎるくらいですが、導師としては使えそうもありません」
「なるほど。進歩はない、と?」
「そう言わざるを得ませんね。今の仕事が片付いたら、次のレプリカ生成に取り掛かります」
 読んでいたらしい書類を持ったまま、ディストはぐるりと椅子ごと導師に向き直る。相変わらず趣味の悪い椅子だ。そうは思うものの、導師がそれを指摘することはない。仕事さえ果たしてくれるなら、どんな趣味をしていようと特に問題はなかった。
「導師の方はいかがです?ヴァンから話は行っていると思いますが」
「こちらも進展はありません。もとより回収困難なものですし」
 ヴァン?何か言っていただろうか。思い出さぬまま、導師は適当に言葉を返した。彼が催促するような事柄はごく限られているし、いずれにせよ返答はいつも同じだ。わざわざ思い出す必要はない。
 不意に、導師は咳き込んだ。薬が切れたのか、胸がひどく痛む。
「導師イオン?」
「…………」
 膝をつき、ぜえぜえと荒い呼吸を何度も繰り返した後、導師はようやく息を整えた。ゆっくりと立ち上がると、掠れた声で告げる。
「時間がありません。早く使えるレプリカを作ってください。あなたがしくじれば、計画に大きく差し障ります」
 出来損ないはこれ以上必要ない。導師は踵を返した。
「あなたも早く目的を果たしたいでしょう。急いでくださいね」



 アリエッタの待つ出口へと歩きながら、導師は掌に付着した少量の血液を手巾で拭い取った。病気の進行が思ったよりも早い。ディストがまともに使えるレプリカを完成させるまで、はたしてこの身は保つだろうか。作業を急がせなければ。導師は思考を巡らせた。
 ディストは信仰心が厚い訳でもなければヴァンに恩義がある訳でもない。今はたまたま利害が一致しているから神託の盾に所属しているだけであるという以上、こちらの作業を急がせるには、餌を眼前にぶら下げてやる他ない。
 彼の目的は知っている。レプリカを作ることによって彼のかつての師を復活させること。だがそれだけではあるまい。彼が袂を分かった幼馴染にいまだ並々ならぬ執着心を抱いていることは聞くまでもなく明らかであるし、彼がマルクト帝国軍の情報を必要以上に集めさせていることも聞き及んでいる。
 そうだ。秘預言を少し詠んでやろうか。彼が執着している幼馴染の命が残り数年しかないと知れば、彼も尻に火がつくに違いない。もたついている間にも、彼が師を復活させ、幼馴染と過去を再現できる時間はどんどん減っていく。自然、導師のレプリカ生成にも力が入る筈だ。導師の機嫌を取り、師の復活に必要なデータを報酬として手に入れるために。病気に冒された体で預言を詠むのは望ましいことではないが、それによって計画が無事成就するのならば問題ない。
 とはいえ、その考えを実行する気にはなれなかった。自分の体への負担がかかりすぎる可能性を考えると現時点ではリスクが大きすぎる。わざわざ危険を冒してまで秘預言を詠んでやるのも癪だ。
 それに、或いは秘預言を詠まず、彼のしたいようにさせた方が面白くなるかもしれない。導師レプリカは間に合わせてもらわないと困るが、彼の師のレプリカについてはどうなろうと計画に支障はない。幼馴染の命の期限に間に合わなかった時、彼の高慢な顔はどう歪むだろう。もっと急げばよかったと後悔に泣き濡れるだろうか。涙であの化粧が崩れたらさぞ滑稽な顔になることだろう。たとえそうなったとしても自分はその顔を見ることはできないが。
「…あまり見たいものでもないですね」
 まあ、どうするにせよ次に生成されるレプリカの出来を確認してからでも遅くはないだろう。外へ出ると、不安そうに待っていたアリエッタが駆け寄ってくる。
「イオン様…大丈夫、ですか?」
「ええ。僕なら大丈夫です。少し話をしてきただけですから」
「よかった…」
 つとめて穏やかに微笑みかけてやれば、アリエッタの頬に赤みがさす。
「戻りましょう…イオン様」
「はい。帰ったらお茶にしましょう」
 外は、よく晴れていた。


Daath:「隠された叡智」を象徴する第11のセフィラ。