炭酸猫。




 ランチタイムには大勢の生徒で賑やかな屋上も、昼休みの前半は閑散としている。近くにコンビニもないこの学校では昼食の確保手段は学食か購買のどちらかにほぼ限られるため、食券とパンを求める大半の生徒たちはチャイムと同時にその2点を目指して走ることとなり、弁当持参組についても各々の友人が昼食を無事確保するまでは教室から動けないというのが実情だ。したがって、昼休憩を告げるチャイムが鳴った直後の今、屋上には1人の人影があるのみだった。
 自分の他には誰もいない屋上の隅に座り込み、朝に自販機で買っておいたコーラを横に置いたまま、丁寧に塗られたマニキュアが剥げていないかどうかを丹念にチェックするのがグレルの日課だ。
「うん、今日も完ペキ☆」
 人がいては落ち着いて指先のチェックもできやしない。他人の食事の匂いも、笑いさざめく声も、グレルにとっては邪魔でしかない。
 ――だって、美しくないんだもの!
 上機嫌でコーラ缶のプルタブを開けたグレルは、ふと気配を感じて振り向いた。その視線の先には、つやつやした黒い……猫。
 ニャーン。
 いったいどこから入り込んできたものか、1ヶ所しかない屋上のドアからつるりと出てきた黒猫はグレルの元まで足音を立てずに近づき、止まった地点からじっとグレルを見上げた。
 じー。
「な、何よ。悪いけどアタシ、ニボシとかそんなジジくさいものは持ってないわヨ」
 膝より長いスカートをはたはたと揺らして何も持っていないことをアピールするが、黒猫はよく分かっていないらしく、なおもグレルの目を見上げてくる。
 じーーー。
「っ、だから何も持ってないって言ってるデショ!あっち行きなさいよ!毛がつくじゃない!」
 今ばかりは他に誰もいないのが憎らしい。いっそコーラをぶっかけてやりたい衝動に駆られるが、コーラまみれの毛玉にじゃれつかれでもしたらそれこそ悲劇なのでなんとか耐える。
 じーーーーー。
「ああもう!誰でもいいからさっさとこの猫連れて行きなさいヨ!」
 しっしっと手を振り回しながらグレルが立ち上がったその時、階段を上ってくる足音が聞こえた。静かで規則正しい足音。たいていの生徒はやや浮かれ気味に駆け上ってくるというのに珍しい、とグレルは思う。
「ここにいたんですか、レディ」
「……セバスちゃん?」
 学年こそ違うものの、ドアから現れた黒髪の生徒には見覚えがあった。時期外れの転校生。
「今の時間はまだ誰もいませんから、ごはんにはありつけませんよ」
 転校生はグレルのことなどお構いなしで黒猫のそばに膝をつき、ポケットから小さな小袋を取り出しす。煮干だった。
「ほら、これをあげますから」
 いつも冷静な調子を崩さないともっぱら噂の転校生の声音は驚くほど優しい。というよりも、甘ったるい。
 ニャーンvv
 機嫌をよくしたらしい猫はしかし、セバスチャンの差し出した煮干には目もくれず、じっとグレルの手元を凝視し続ける。
「おや?煮干はお好みではありませんか?」
 ずっとグレルの存在にはおかまいなしで黒猫を見つめていたセバスチャンだったが、ここでやっと自分以外の人間の存在に気づいたらしく、グレルの手元にもう1組の視線が注がれた。
「ちょ、別に、アタシは何もこの猫にやるつもりは……」
 じー。
 じー。
 グレルに、正確にはその手のコーラ缶に集中する視線。
「もう!欲しいならあげるから勝手にイチャついてなさい!」
 セバスチャンにコーラ缶を押しつけたグレルは、セーラー服の裾を翻して逃げるように階段を駆け下りていったのだった。 



変な猫と、たまにはまともなグレル。