青の目送





 グランコクマの空は青い。窓越しに太陽の光が燦々と降り注ぐ謁見の間で、公式な形での報告が行われていた。
「音譜術士連続殺傷事件の犯人ですが、生存の疑いが濃厚であると判明しました。私はこれからロニール雪山へ赴き、彼女の身柄を拘束するつもりです。どうか、ご許可を」
 流暢にジェイドが語った内容を噛み砕き、ピオニーは怪訝そうに眉をひそめた。
「彼女が……生きているって言うのか?」
「はい。残念ながら明確な物証はありませんが……」
「お前のことだ。確信は、あるんだろ?」
「はい」
 ピオニーはまっすぐにジェイドの目を見つめたまま、衣服の袖を翻して人払いを命じる。事が“彼女”の話だけに、気を使ったのか。広い広い部屋に、2人きり。
「1人でいいのか?」
「ええ。障害は既に排しましたし、第一場所が場所ですから、むやみに頭数だけ揃えて行っても効果があるとは思えません」
 それは事実だ。雪山の道は細く険しい。その上、おそらく彼女がいるであろうあの岩場も、けして広いとは言いがたい場所だった。
 しかしそれだけでは無論ない。“彼女”とのやりとりがどうなるかはわからないが、他人に、特に部下に聞かせる訳にはいくまい。自分にとって都合の悪い発言の1つや2つは確実に出ると考えるのが妥当であるし、その場合どんなにうまく取り繕ったところで部下の心に動揺が生まれることは防ぎようがない。
 沈黙が落ちる。暫し考えた後、ピオニーは諦めたように溜息をついた。
「とか言って、俺が許可出さなかったら実力行使に出やがるんだろ」
「まさか。私は陛下の忠実な臣下ですから、そんなことはしませんよ」
「……もしくは、許可を出すまで粘るか、な。いずれにせよ碌なことにならんのはわかってる。許可してやるよ」
「さすが私の陛下。よくわかっていらっしゃる」
 どこか投げやりな彼とは対照的に、ジェイドは非常にいい笑みを浮かべている。長い付き合いであれば、それが何かを隠している時の笑みであることは容易に知れるが。
「誰がお前のだ。……まあ、長い付き合いだからな」
「では、長い付き合いついでにもう一つお願いしてもいいですか?」
 聞くだけなら聞いてやる、とピオニーは答えた。聞き入れるかどうかは定かでないとしっかり釘を刺した後に、視線で言葉の続きを促す。
「監視の強化をお願いしたいんです。拘留中の囚人が脱獄、なんてことになったら後が面倒ですから」
 一見関係のなさそうな頼み。しかし、ジェイドにとっては調えておかねばならない条件であった。
「……サフィール、か?」
 聞こえないとわかっていながら、互いに声を低める。
「はい。事の次第を知れば、確実に追って来ようとするでしょうから」
 ネビリムのレプリカが、まだ生きている。そうと知ればディストは何としても彼女を庇おうとするだろう。あれはかつて失った師ではない。そんなことはもう彼にもわかっているだろうに。
 帝都の監獄は堅固だ。まさか脱獄などということはあるまいが、ディストはただの愚者ではない。殊にこの件については、彼が焦がれてやまないネビリム(レプリカではあるが)の生死に関わることだ。昔から思い込みの激しい彼のこと。もし死に物狂いともなれば、一体何をしでかすか想像もつかない。
 それに、これが最大の不安材料でもあるのだが、ディストはおそらく何か感づいている。数週間前に詰め寄られた時、自分は不覚にも過剰反応を示してしまったのだ。

『私にはわかるんです!あなたのことなら何だって!』

 “彼女”が見せた幻など何も知らない彼の言葉が、偶然にも彼女の囁きと重なってしまった、から。
 なぜディストがあの時あんな剣幕で詰め寄ってきたのか、その理由は不明だが、何か思い込みじみた予感でもしたのだろう。仮にそうだとしてもこちらが白を切ってしまえばよかったものを、激してしまったことでその思い込みに確信を与えてしまう形になった。
 まったく、らしくない失策。
 彼がどこまで感づいたのかはわからない。しかし、わざわざ藪をつつかずとも、牢から出さなければディストの存在は自分の目的遂行にとって何の障害にもならない。たとえわずかなものであれ、可能性は潰しておくに越したことはなかった。
「いいだろう。後始末はしておくから、適当に人員を増やして行くといい」
「ありがとうございます。確かに、お願いしましたよ」
 語尾にハートマークでもついていそうな声で礼を述べ、ジェイドは踵を返す。
「ジェイド」
 それをピオニーの声が引き止めた。
「……何でしょうか?」
「必ず、帰ってこい。たっぷり仕事を用意しといてやる」
 ジェイドは振り返ることなく、頷いた。


青色;澄み切った青空の色。雲のない様子から、希望や勇気、或いは迷いのない様子などを暗示する。